おちまさとプロデュース Tokyo Ochimasato Land -28ページ目

はじめての原爆ドーム。

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今回の
ふたりの修学旅行の
最大の目的である
原爆ドームに
行って来た。

妻は
本当の
修学旅行以来だが
おいらは
初めての訪問。

今年の前半だったか
どちらともなく

「今年時間を作って
原爆ドームを見に行きたい」

と思い
今回の修学旅行に
至った。

尾道
宮島は
その副産物だ。

「そうだ、京都へ行こう」

と同時に思う事が
あっても

なかなか
夫婦同時に

「そうだ、原爆ドームへ行こう」

とは思わないかも
しれない。

理解されがたいかも
しれないが
妻とは
こういうリンクが
本当に多い。

初めての
原爆ドーム。

小学生の時から
行ってみたくて
結局44歳直前に
やっと行った。

おいらは
戦争を知らない。

おいらの上の世代でさえ
『戦争を知らない子供たち』
と歌っている。

だから
今の若い世代
さらに
このブログを
読んでいる十代の方は
知るはずもない。

どの時代も
現代史は
3学期の授業で
いい加減だ。

本当に
簡単に
言えば


かつて
世界で
大きな戦争があった。
日本は
そのど真ん中にいた。

戦争は
悲惨がまた悲惨を生む
地獄の雪だるま。

その地獄の雪だるまは
核兵器となり
広島に投下された。

そして
時を経て
今世界は
2020年に向けて
核兵器廃絶へ
歩み始めている。

今回
初めて原爆ドームを
目の当たりにして
今まで感じた事のない
感覚にとらわれた。

国内国外
数え切れない場所へ
行っているが
正直
戦争の爪痕が
生々しく残る場所に
行くのは
恥ずかしながら
初めてかもしれない。

今年行った
38度線の板門店は
現在進行形であり
あの感じとも
また違う。

「どうしよう」

とか
そんな
どうしようもない
言葉しか出て来ない
感じだった。

同じ公園内にある
記念館。

こちらも
もちろん
初めてで

これも
小学生の時から
先生にいつか行くように
と言われ
今になってしまった。

しかし
昔いろんな先生から
具体的に聞いていた
生々しい資料が
見当たらなかった。

やはり
それらも
時代を経て
変化しているのだろうか。

妻が数年前に
修学旅行で来た時とも
変わっているらしい。

しかし
もちろん
当日
当時の
地獄絵図は
十分に伝わって来る。

ただ
気になったのは
原爆の恐ろしさと同時に
戦争自体の
人間の恐ろしさに
あまり触れていない事だ。

争いに参加せず
戦争と無関係に
平和に暮らしている国に
突然原爆を
落とされた訳ではない。

記念館を見ていると
一方的なニュアンスを
感じてしまい
かねないのだ。

もちろん
原爆投下は
最悪の悲劇だ。

しかし
その悲劇は
人間の欲やエゴなど
もっとどろどろとした
心と脳の中に
住み着いている。

物理的悲劇の歴史を
伝える事も
抑止に繋がるが
根本的な解決には
遠いような
気がしてならない。

結局
もっとないか!
もっとないか!
の際に
核があった訳だ。

この
人間の
もっとないか!
は今だって
何も変わっていない。

その本質を
白日のもとにさらし
その当時の
世界中のえぐい部分を
語る中で
原爆を語らなければ
なぜ最終的に
原爆が投下されたのか
そのメカニズムや
システムを
解明しなければ

原爆ドームを見て思う

「どうしよう」

はいつまでたっても
続いてしまうような
気がする。

その役目は
やはり
被爆国であり
戦争ど真ん中にいた
日本が果たせる事
かもしれない。

しかし
学校で習う
歴史は
現代から
さかのぼっていく
教育の方が
いいのではと
いつも思ってしまう
のだが
いかがなものか。

今で言えば
民主政権から
さかのぼり
第二次大戦から
大正
明治と。

結局は
自分は何者なんだ?
という事に
興味がある訳で
ルーツをたどるべく
学んだ方が
意味がありそうな
気がするのだが。

ネアンデルタール人
高床式住居

生きてく上で
意味あるか?笑

あるかもしれんが
2009年を
生きる人間にとって
原爆ドームを見る事は
比べものには
ならないかもしれないが
意味がある。

おちまさと

今回
時間を作って
行って良かった。
しかし
何歳になっても
初体験は山ほど
残されている。